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2015年12月11日

19 禅海和尚

19 禅海和尚(ぜんかいおしょう)

城北中学校校門前

■僧侶。断崖の通行が危険であったため、青の洞門を30年余りかけて掘りぬきました。通行料を徴収した日本最古の有料道路と言われています。菊池寛の小説「恩讐の彼方に」のモデルになりました。
■生没年:1691-1774

★青の洞門
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2013080200107/






  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 18:47 Comments(0) 19 禅海和尚

2015年12月11日

18 磯村 豊太郎

18 磯村 豊太郎(いそむら とよたろう)

■実業家、貴族院議員。古金谷に生まれ慶應義塾に学ぶ。三井物産ロンドン支店長、北海道炭礦汽船社長など要職を歴任しました。郷土中津の公会堂建築にあたり多額の寄付をしました。
■生没年:1868-1939

  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 18:37 Comments(0) 18 磯村豊太郎

2015年12月11日

17 奥平昌鹿

17 奥平昌鹿(おくだいら まさか)


■江戸中期の中津藩主。絵画や和歌に優れ、前野良沢の蘭学研究や儒学を保護するとともに、国学を賀茂真淵から学びました。「郡村税法」の法令集を編集するなど藩政に力を入れました。
■生没年:1744-1780

  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 18:33 Comments(0) 17 奥平昌鹿

2015年12月11日

16 奥平昌髙

16 奥平昌髙(おくだいら まさたか)


■シーボルトとも交流があった中津藩主。中津辞書と称される「蘭語訳撰」(日蘭辞書)、「バスタールド辞書」(蘭日辞書)を出版しました。藩校「進脩館」の創設や中津祇園振興のために堀川町に祇園車をおくるなど、中津の文化発展に尽力しました。ペリー来航時に、開国の意見書を幕府に提出しました。
■生没年:1781-1855
  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 18:30 Comments(0) 16 奥平昌髙

2015年12月11日

15 川村矯一郎

15 川村矯一郎(かわむら きょういちろう)


■更生保護の創始者。政治犯として三回の入牢経験から、出所後は刑務所の改善運動に尽力しました。また、出獄人保護事業に取り組み、我が国初の出獄人保護会社を設立しました。これが現在の更生保護制度の源流となっています。
■生没年:1852-1891

★川村矯一郎顕彰碑(安全禅寺:下正路)
  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 18:24 Comments(0) 15 川村矯一郎

2015年12月11日

14 小笠原長次

14 小笠原長次(おがさわら ながつぐ)


■細川氏の後(1632年)、中津8万石の譜代大名として入国。城下町の整備を行い、城下に水道を引きました。また、宇佐郡の新田開発などを行いました。
■生没年:1615-1666
  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 18:11 Comments(0) 14 小笠原長次

2015年12月11日

13 島田虎之助

13 島田虎之助(しまだ とらのすけ)


 ※錬心館前
  http://www.city-nakatsu.jp/doc/2011100117237/

■剣術家。中津藩士の子として生まれ、漢学・剣術を学びました。16歳より九州一円を武者修行して名声を上げました。江戸に出て直心影流の師範免許を受け道場を開きました。男谷信友(おだにのぶとも)、大石種次(おおいしたねつぐ)とならび幕末の三剣士と言われ、坂本龍馬の師匠、勝海舟は剣術の門弟の一人です。
■生没年:1814-1852
  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 18:06 Comments(0) 13 島田虎之助

2015年12月11日

12 糸園和三郎

12 糸園和三郎(いとぞの わさぶろう)


■洋画家。南部小学校で学びました。独自の絵画表現と世界観を追求し続け、洋画壇で確かな地位を築きました。南部小学校には、糸園画伯より「こどもとサッカーボール」の絵が寄贈され、校長室にはレプリカが飾られています。 
■生没年:1911-2001

★「こどもとサッカーボール」
  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 17:54 Comments(0) 12 糸園和三郎

2015年12月11日

11 前野良沢

11 前野良沢(まえの りょうたく)

■「蘭学の開祖」であり中津藩医。杉田玄白たちと苦心の末、オランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」を訳したものが「解体新書」です。青木昆陽やオランダ通詞からオランダ語を学びました。
■生没年:1723-1803
  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 17:46 Comments(0) 11 前野良沢

2015年12月11日

10 田中信平

10 田中信平(たなか しんぺい)

■中津の「けんちん」(和菓子)の発案者。日本最初の本格的中国料理の解説書『卓子式』を1784年に出版。町の外科医をしながら、書、画、料理などの才能を発揮。ここ南部公民館が生家跡で、現在、記念碑が建てられています。
■生没年:1748-1824

★田中信平碑(南部公民館内)


★けんちん
◎田信のけんちん
「けんちん」は中津地方に伝わる菓子で、十六寸豆、きくらげ、くず粉などを火にかけ、砂糖と醤油で味つけし、蒸しあげたものです。一晩置いてから切り分けていただきます。慶弔用の料理菓子として、結婚式の折り箱の中に、よく入れられていました。現在、食生活改善推進協議会南部支部では、田信を偲び「田信のけんちん」の伝承に取り組んでいます。



  


Posted by 南部青少年健全育成協議会 at 17:06 Comments(0) 10 田中信平