2015年12月12日
29 和田豊治
29 和田豊治(わだ とよじ)


■福澤門下の3大実業家で、貴族院議員。南部小学校の地にあった中津市学校、慶應義塾に学び、アメリカの甲斐商店に勤務。帰国後、富士紡績などで活躍し、財界に大きな足跡を残しました。郷土の中津に和田奨学資金を設け、学生を援助しました。
■生没年:1861-1924
★和田公園(生誕地:北門通り)


■福澤門下の3大実業家で、貴族院議員。南部小学校の地にあった中津市学校、慶應義塾に学び、アメリカの甲斐商店に勤務。帰国後、富士紡績などで活躍し、財界に大きな足跡を残しました。郷土の中津に和田奨学資金を設け、学生を援助しました。
■生没年:1861-1924
★和田公園(生誕地:北門通り)
2015年12月12日
28 朝吹英二
28 朝吹英二(あさぶき えいじ)


■鐘紡や三井財閥などで重職を歴任した実業家。耶馬溪町出身で、日田の咸宜園や白石照山の塾で学び、慶應義塾を卒業。中上川彦次郎、和田豊治とともに福澤門下の3大実業家と言われています。
■生没年:1849-1918


■鐘紡や三井財閥などで重職を歴任した実業家。耶馬溪町出身で、日田の咸宜園や白石照山の塾で学び、慶應義塾を卒業。中上川彦次郎、和田豊治とともに福澤門下の3大実業家と言われています。
■生没年:1849-1918
2015年12月12日
27 中上川彦次郎
27 中上川彦次郎(なかみがわ ひこじろう)


■福澤門下の3大実業家。山陽鉄道初代社長。三井財閥の基礎をつくり、日本の近代化に努力しました。母は福澤諭吉の姉。慶應義塾で学び、中津市学校で英語教師や時事新報の初代社長も務めました。金谷森ノ丁の生誕地は中上川公園として整備されています。
■生没年:1854-1901
★中上川公園(生誕地:金谷森ノ丁)


■福澤門下の3大実業家。山陽鉄道初代社長。三井財閥の基礎をつくり、日本の近代化に努力しました。母は福澤諭吉の姉。慶應義塾で学び、中津市学校で英語教師や時事新報の初代社長も務めました。金谷森ノ丁の生誕地は中上川公園として整備されています。
■生没年:1854-1901
★中上川公園(生誕地:金谷森ノ丁)
2015年12月11日
26 増田宋太郎
26 増田宋太郎(ますだ そうたろう)


■西南戦争で西郷隆盛の率いる軍に加わった中津隊の隊長。鹿児島の城山で戦死しました。福澤諭吉の親戚。中津で創刊された地方紙「田舎新聞」の初代編集長として自由民権を説きました。
■生没年:1849-1877
★西南役中津隊之碑(中津城)


■西南戦争で西郷隆盛の率いる軍に加わった中津隊の隊長。鹿児島の城山で戦死しました。福澤諭吉の親戚。中津で創刊された地方紙「田舎新聞」の初代編集長として自由民権を説きました。
■生没年:1849-1877
★西南役中津隊之碑(中津城)

2015年12月11日
25 村上巧兒
25 村上巧兒(むらかみ こうじ)


■実業家。新聞社、デパート、電力会社など各方面で活躍し、西日本の産業・経済界に多大な貢献をしました。昭和38年、村上功兒の遺志と功績を記念し、郷土の子ども達のために「童心会館」が殿町に建設されました。
■生没年:1879-1963


■実業家。新聞社、デパート、電力会社など各方面で活躍し、西日本の産業・経済界に多大な貢献をしました。昭和38年、村上功兒の遺志と功績を記念し、郷土の子ども達のために「童心会館」が殿町に建設されました。
■生没年:1879-1963
2015年12月11日
24 小幡英之助
24 小幡英之助(おばた えいのすけ)

生誕地(現歴史民俗資料館)

■近代歯科の先駆者で歯科医師免許第1号。慶應義塾に入塾したのち、横浜で西洋歯科を学びました。歯科医術の発展に努め、多くの門下生を育てました。
■生没年:1850-1909
小幡英之助の銅像(中津城)


生誕地(現歴史民俗資料館)

■近代歯科の先駆者で歯科医師免許第1号。慶應義塾に入塾したのち、横浜で西洋歯科を学びました。歯科医術の発展に努め、多くの門下生を育てました。
■生没年:1850-1909
小幡英之助の銅像(中津城)
2015年12月11日
23 渡邊 重名
23 渡邊 重名(わたなべ しげな)


■中津藩国学者、古表神社(福岡県築上郡吉富町)宮司。京都で儒学を学びました。また、本居宣長等に国学を学び、本居門下十哲の一人に数えられました。帰郷後、藩校進脩館の教授も勤めました。
■生没年:1759-1830


■中津藩国学者、古表神社(福岡県築上郡吉富町)宮司。京都で儒学を学びました。また、本居宣長等に国学を学び、本居門下十哲の一人に数えられました。帰郷後、藩校進脩館の教授も勤めました。
■生没年:1759-1830
2015年12月11日
22 白石照山
22 白石照山(しらいし しょうざん)


■儒学者・教育者。中津藩校「進脩館」で漢学を学び、江戸に遊学して昌平坂学問所などでも学びました。中津に戻り私塾を開いて、多くの若者に学問を教え、福澤諭吉や朝吹英二は門下生です。
■生没年:1815-1883


■儒学者・教育者。中津藩校「進脩館」で漢学を学び、江戸に遊学して昌平坂学問所などでも学びました。中津に戻り私塾を開いて、多くの若者に学問を教え、福澤諭吉や朝吹英二は門下生です。
■生没年:1815-1883
2015年12月11日
21 宇都宮仙太郎
21 宇都宮仙太郎(うつのみや せんたろう)

■日本酪農の父、雪印乳業の創設者の一人。北海道で牧夫として勤めたのち、アメリカへ渡ります。各州の牧場やウィスコンシン大学などで農業技術を身につけました。
■生没年:1866-1940

■日本酪農の父、雪印乳業の創設者の一人。北海道で牧夫として勤めたのち、アメリカへ渡ります。各州の牧場やウィスコンシン大学などで農業技術を身につけました。
■生没年:1866-1940
2015年12月11日
20 長野静司
20 長野静司(ながの せいじ)

小祝老人憩いの家
http://www.city-nakatsu.jp/doc/2013070800515/

■生涯中津で絵を描き続けた画家です。えびの高原に熊谷九寿と写生旅行に出かけ、まのあたりにした赤松の群れの織りなす自然の美しさに感動し、以来「松」を題材として描き続けました。それが生涯をかける仕事との出会いでした。
■生没年:1917-2002
★長野静司作品集(中津市役所URLより)
http://www.city-nakatsu.jp/doc/2015031600110/

小祝老人憩いの家
http://www.city-nakatsu.jp/doc/2013070800515/

■生涯中津で絵を描き続けた画家です。えびの高原に熊谷九寿と写生旅行に出かけ、まのあたりにした赤松の群れの織りなす自然の美しさに感動し、以来「松」を題材として描き続けました。それが生涯をかける仕事との出会いでした。
■生没年:1917-2002
★長野静司作品集(中津市役所URLより)
http://www.city-nakatsu.jp/doc/2015031600110/