2015年12月12日
35 若松常一郎
35 若松常一郎(わかまつ つねたろう)


■たび重なる山国川の大洪水の対策に、私財を投じて万策を尽くし、50回以上も上京して、国営での災害復旧と河川改修を陳情しました。その甲斐あって、昭和23年、全国に先駆けて国の直轄河川改修が始まりました。現在、安全で安心して暮らせるのは、若松翁や先人たちの郷土を災害から守るという強い信念の取り組みがあったからです。
■生没年:1894-1960
★山国川を臨む若松翁(外馬場)


■たび重なる山国川の大洪水の対策に、私財を投じて万策を尽くし、50回以上も上京して、国営での災害復旧と河川改修を陳情しました。その甲斐あって、昭和23年、全国に先駆けて国の直轄河川改修が始まりました。現在、安全で安心して暮らせるのは、若松翁や先人たちの郷土を災害から守るという強い信念の取り組みがあったからです。
■生没年:1894-1960
★山国川を臨む若松翁(外馬場)
2015年12月12日
34 大江雲澤
34 大江雲澤(おおえ うんたく)


■中津医学校の設立に尽力し、初代校長を務めました。「医は仁にならざるの術、務めて仁をなさんと欲す」は大江家の医訓。市内鷹匠町の大江医家史料館は、中津藩主の御典医であった大江家の旧宅を利用して開館しています。
■生没年:1822-1899
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★大江医家史料館
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2011100100277/


■中津医学校の設立に尽力し、初代校長を務めました。「医は仁にならざるの術、務めて仁をなさんと欲す」は大江家の医訓。市内鷹匠町の大江医家史料館は、中津藩主の御典医であった大江家の旧宅を利用して開館しています。
■生没年:1822-1899
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★大江医家史料館
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2011100100277/
2015年12月12日
33 田代基徳
33 田代基徳(たしろ もとのり)


■外科医で軍医医監、陸軍医学校長を務め、松本良順等と医学会の始まりである「医学会社」を起こしました。「医事新聞」を発行して近代外科学の基礎を築きました。緒方洪庵の「適塾」で蘭学を学びました。
■生没年:1839-1898


■外科医で軍医医監、陸軍医学校長を務め、松本良順等と医学会の始まりである「医学会社」を起こしました。「医事新聞」を発行して近代外科学の基礎を築きました。緒方洪庵の「適塾」で蘭学を学びました。
■生没年:1839-1898
2015年12月12日
32 武田由平
32 武田由平(たけだ よしへい)


■版画家、中津中学校(現中津南高校)の美術教師。「文展」や「日展」に出品するなど日本版画協会、新版画集団の一員として活躍。教え子も多く、中津を中心に大分の美術界発展に大きな功績を残しました。市役所ロビーの壁画は、「中津夏祭」という作品をもとに中津祇園をいきいきと表したものです。
■生没年:1892-1989
★中津市役所1階ロビーの壁画
http://www.city-nakatsu.jp/doc/2011100110870/


■版画家、中津中学校(現中津南高校)の美術教師。「文展」や「日展」に出品するなど日本版画協会、新版画集団の一員として活躍。教え子も多く、中津を中心に大分の美術界発展に大きな功績を残しました。市役所ロビーの壁画は、「中津夏祭」という作品をもとに中津祇園をいきいきと表したものです。
■生没年:1892-1989
★中津市役所1階ロビーの壁画
http://www.city-nakatsu.jp/doc/2011100110870/

2015年12月12日
31 村上玄水
31 村上玄水(むらかみ げんすい)


■1819年、九州でも早い時期に解剖を行い、その記録を「解臓記」、「解剖図」として残しました。市内諸町の村上医家史料館には、1640年から現在まで続く、村上医家の所蔵品、史料及び人体解剖図などが展示されています。
■生没年:1781-1843
★村上医家史料館(中津市役所URLより)
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2011100100215/

★村上玄水先生之墓:東林禅寺(鷹匠町)


■1819年、九州でも早い時期に解剖を行い、その記録を「解臓記」、「解剖図」として残しました。市内諸町の村上医家史料館には、1640年から現在まで続く、村上医家の所蔵品、史料及び人体解剖図などが展示されています。
■生没年:1781-1843
★村上医家史料館(中津市役所URLより)
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2011100100215/
★村上玄水先生之墓:東林禅寺(鷹匠町)
2015年12月12日
30 村上田長
30 村上田長(むらかみ でんちょう)


■明治期の医者、ジャーナリスト、教育者。大分県内初の本格的な新聞「田舎新聞」を創刊。大分中学校初代校長と大分師範学校校長をかねて務め、その後、玖珠郡長となりました。玖珠(森)~中津間の「耶馬溪道路」を開通させました。
■生没年:1839-1906
★村上田長と耶馬溪(中津市役所URLより)
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2015041000245/


■明治期の医者、ジャーナリスト、教育者。大分県内初の本格的な新聞「田舎新聞」を創刊。大分中学校初代校長と大分師範学校校長をかねて務め、その後、玖珠郡長となりました。玖珠(森)~中津間の「耶馬溪道路」を開通させました。
■生没年:1839-1906
★村上田長と耶馬溪(中津市役所URLより)
http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2015041000245/

2015年12月12日
29 和田豊治
29 和田豊治(わだ とよじ)


■福澤門下の3大実業家で、貴族院議員。南部小学校の地にあった中津市学校、慶應義塾に学び、アメリカの甲斐商店に勤務。帰国後、富士紡績などで活躍し、財界に大きな足跡を残しました。郷土の中津に和田奨学資金を設け、学生を援助しました。
■生没年:1861-1924
★和田公園(生誕地:北門通り)


■福澤門下の3大実業家で、貴族院議員。南部小学校の地にあった中津市学校、慶應義塾に学び、アメリカの甲斐商店に勤務。帰国後、富士紡績などで活躍し、財界に大きな足跡を残しました。郷土の中津に和田奨学資金を設け、学生を援助しました。
■生没年:1861-1924
★和田公園(生誕地:北門通り)
2015年12月12日
28 朝吹英二
28 朝吹英二(あさぶき えいじ)


■鐘紡や三井財閥などで重職を歴任した実業家。耶馬溪町出身で、日田の咸宜園や白石照山の塾で学び、慶應義塾を卒業。中上川彦次郎、和田豊治とともに福澤門下の3大実業家と言われています。
■生没年:1849-1918


■鐘紡や三井財閥などで重職を歴任した実業家。耶馬溪町出身で、日田の咸宜園や白石照山の塾で学び、慶應義塾を卒業。中上川彦次郎、和田豊治とともに福澤門下の3大実業家と言われています。
■生没年:1849-1918
2015年12月12日
27 中上川彦次郎
27 中上川彦次郎(なかみがわ ひこじろう)


■福澤門下の3大実業家。山陽鉄道初代社長。三井財閥の基礎をつくり、日本の近代化に努力しました。母は福澤諭吉の姉。慶應義塾で学び、中津市学校で英語教師や時事新報の初代社長も務めました。金谷森ノ丁の生誕地は中上川公園として整備されています。
■生没年:1854-1901
★中上川公園(生誕地:金谷森ノ丁)


■福澤門下の3大実業家。山陽鉄道初代社長。三井財閥の基礎をつくり、日本の近代化に努力しました。母は福澤諭吉の姉。慶應義塾で学び、中津市学校で英語教師や時事新報の初代社長も務めました。金谷森ノ丁の生誕地は中上川公園として整備されています。
■生没年:1854-1901
★中上川公園(生誕地:金谷森ノ丁)